DJ YEW

「研ぎ澄まされた技術と創造的な選曲を併せ持つ」
DJ YEW と HIP HOP の関係


長野県出身の DJ YEW さん、ヒップホップをベースに表現されるその DJ プレイは隙なく磨かれた古美術品のようでありながら新鮮さも常に保たれていて創造的です。

選曲によりその場の空気は定まっていきますが、過去に筆者は DJ YEW さんのプレイで空間が変容したかのような感覚も味わいました。それは奇を衒って実現するのではない流れを汲んだ上で成されていました。

ヒップホップに対する考え、アンダーグラウンドヒップホップ集団「北関東スキルズ」への加入やカセットテープ DJ との出会いなどのこれまでの活動歴、選曲の方法論などについてお尋ねしました。

お読みいただいたみなさまに DJ YEW さんのヒップホップへの愛情が少しでも伝わりますと幸いでございます。

下記はカセットテープを使った日本語ラップのみで構成された DJ YEW さんの DJ プレイ、こちらもぜひご覧ください。

「FULL CASSETTE | Cassette Hiphop Set | DJ YEW」

<インタビュー>

『入力切り替えのつまみをクロスフェーダー代わりにして擦ったりしていた』

1.活動歴

DJ YEW:テレビで TRF*1 の DJ KOO を見かけて何だこの人はと。

-見た目が、ですか?

DJ YEW:そう、見た目がですね。ターンテーブルが2台あって、ドレッドが凄い日本人離れした人物がその中にいて、何をやっているかわからないけれど、かっこいいぞ。

-その当時はDJというものをご存じだったんですか?

DJ YEW:DJ 自体を初めて知ったのが DJ KOO、それが小学校の5年。当時はミキサーという概念もなくターンテーブルが2台あってそこに立っている訳のわからない人。
それがとにかくかっこいい。なので、見た目から入りましたね。

「DJ KOO/TRF(1996年)」

-DJ KOO さんの見た目から DJ を認識されたのですね。それまで音楽自体には触れていましたか?

DJ YEW:自宅の朝ご飯の時にラジオから流れていたクラシック。学校の教室に CD ラジカセを置いていて、休み時間に家から持ってきた CD を勝手に聴いてよかったんですね。
DJ KOO を見掛けるのと並行するぐらいの時期に TRF の『HYPER MIX III』をクラスの女の子が持ってきていた。テクノっぽい味付けの TRF のリミックスで、それを聴いて「何だこれ!」となりました。

「TRF – HYPER MIX III」

DJ YEW:それまでも音楽は周りにあったけど、かっこいい音楽というものが自分の中で初めてできた。世の中にこういう音楽があるんだ。

-音楽に意識的になったんですね。

DJ YEW:そうそう、その CD と DJ KOO があとから結びついた。この音楽とかっこいい見た目の DJ はどうやら一緒のところから出てきているんだと、そこで DJ というものがかっこいいと確信に変わった。
それが多分始めたいなと思うきっかけですね。

-そこから実際に始められるまではどういう経緯でしょうか。

DJ YEW:ターンテーブルを集めましょうとなるけど、金もないし地元が長野県だから情報も少なくて、そもそもどこでレコードや機材を買うのか、という感じで。

結局、機材を全て揃えたのが高校1年生ですね。お年玉を運用して安いものを買った。実はその前の中学の段階でも真似事みたいなことはしていて、母親が実家で昔使っていたレコード機をもらってきて、クロスフェーダーやミキサーはない中でどうやれば音が切れるのかなと、入力切り替えのつまみをクロスフェーダー代わりにして擦ったりしていた。

-なるほど(笑)。

DJ YEW:うちの父親が仕事でインターネットを使っていたので、インターネットや GROOVE*2 という雑誌で DJ についての情報を集めて、徐々にこういう仕組みなんだと理解していった。
機材が買えない中でそれに近いことができないかなとやっていたのが中学生の時。

「DJ YEW 氏が所蔵している雑誌(一部)」

-その時点でヒップホップの意識は芽生えているのですか?

DJ YEW:中学ぐらいになると「この服屋さんはイケてるぞ」というのがあり、そのかっこいい服屋さんで掛かっている音楽がヒップホップだった。それまでテクノ的なかっこいい音楽があるぞとわかっていたけれど、ヒップホップは洋服屋で聴くぐらいしかなかった。けど、そこで色んな衝撃があって喋ってるじゃん、歌ってないじゃんって。

スクラッチの音も入っているし、DJ の文化というのは割とヒップホップに近いんじゃないかなとそこで気がつき始めました。

-クラブでデビューするまでの流れはどういう感じですかね。

DJ YEW:高校でどうにか機材を集めてからですね。最初はクラブでやることはできなくて文化祭でやったりしていましたね。初めてクラブでやったのはいつだろう……、mixi で調べてみると2006年、今年で20年ですね。
始めたのが渋谷にあったクラブ Shifty で、きっかけは同じ地元出身のラッパーが渋谷でやっていると知り合い経由で連絡がきて、その人が僕に興味を持ってくれてイベントに遊びにこないかって。

怖くて嫌だったんですけど(笑)。画像でみるとこういう雰囲気なんだと。
その人のバックDJをやってくれとなり、その周りの方が Shifty でイベントを開催していて「DJ で参加してくれないか」と依頼がありました。

「Shifty に出演されていた当時のフライヤー1」

クラブに行かずに大学の間は家で練習していた。あとから考えるとその時点で割とスタイルが出来あがっていたんですね。それを Shifty のスタッフの人が気に入ってくれて「箱の主催のイベントがあるからそれにも出演してほしい」とお話がありました。

脇道にそれたヒップホップをやる人たちを集めたイベントで、そこでDJをやる機会がでてきたのが2006年。

-当時は地元長野から都内に出ていたんですか。

DJ YEW:住んでいたのは埼玉で大学にも DJ のサークルがあり、ちょっと覗いてみたんだけど何か違うくて。「定番の曲でみんなで盛り上がって、お酒呑んでわっーとやりましょう」という雰囲気で組織化されていて、上級生には花を持たせましょう、下積みは下積みでちゃんとやりましょう。説明会だけ行ってヤダみたいな(笑)。

-違和感ですね(笑)。初めて DJ プレイした時はどんな感触がありましたか。

DJ YEW:音がでかい。あとは自分の中の暴力性を出せると思って、それがすごい心地が良い。自分が面白いと思ってやっていることを分かってくれる人がこういうところにいるんだと思って。大学生のちょっと音楽好きな友達を家に呼んで自分の DJ を聴いてもらっても「こんなもんかな」という感じなんだけど、クラブのスタッフは色んな音楽を聴いたり、DJ を観ているからそこでわかってもらえたというのが凄く嬉しかった。

-そのあとはどこをメインに活動されていくんですか。

DJ YEW:しばらくは Shifty でやっていて、よく出ていたイベントが RHYMESTER*4 や EASTEND*5 がいるファンキーグラマー*3の下部組織のような、その辺りから影響を受けたラッパーや DJ がいる風合いのイベントだった。
自分の音楽性とは当然合わず、周りは定番の曲をかけて盛り上げてなんぼ的な感じではあったけど、傍から見ていて「それはどうなの」と思った。クラブで日本語ラップを掛けるのはタブーだった頃でしたが、日本語ラップをガンガン掛けてやろうと。

自分は掛けないけれど、実はやりたかった人がその中に何人かいて「日本語ラップをそんなにかけてくれて凄い気持ちいい」と言われて。

-結果として、気持ちを掬いとったわけですね。

DJ YEW:日本語ラップで繋いでミックスとして聴かせるというのをやっていたら評判をかぎつけてくれたのか、DJちえみ*6さんがやっていた池袋での日本語ラップのイベントの出演依頼が mixi 経由できました。 そこから Shifty のイベントと日本語ラップイベントを並行で出演するようになりました。

「Shifty に出演されていた当時のフライヤー2」

日本語ラップは池袋で掛けれるから Shifty の選曲はどうしようと思っていたところ、ダブステップとの出会いがあった。初期のダブステップがイギリスに来ていた頃で DJ BAKU*7 さん主催の KAIKOO が渋谷であって REBEL FAMILIA*8、THINK TANK*9、MSC*10 も全部出るぞ、行くしかないと。REBEL FAMILIA が超好きだったから GOTH-TRAD さんに「REBEL FAMILIA 最高です」と伝えた。埼玉から来ていたんだけれど、バイヴスを示すために今日、長野から来ましたと。すると「ダブステップのイベントがあるから興味あったら来て」と仰ってくれた。

「KAIKOO/邂逅 DOCUMENTARY FILM 2005」

そこでダブステップという単語を初めて聞いた。なんだろうと思ったんだけど、REBEL FAMILIA の人が言っているジャンルなんだから格好いいに決まっているでしょって。
当時は CISCO RECORDS*11 が元気だった頃で、そこでダブステップのレコードが買えて少しずつ集めて「これはやばいぞ」となり Shifty でそのまま掛けてみた。

Hip Hop Hooray*12 で盛り上がっているところにズシーンと思いダブステップの DJ が入ってくるわけで、オーガナイザーの人が自分のあとの DJ に「あげて!」と指示を出していましたね(笑)。

「Naughty by Nature – Hip Hop Hooray」

クラブのスタッフの人や耳の肥えたお客さんからの反応は良くて「これがダブステップなんだ」と関心を持ってくれた。
こういう世界観に興味を示してくれる人はいて、ファンキーグラマー系でやっている人たちとそりが合わなくなっちゃった。そうやって、くすぶっているところに北関東スキルズ。

-遂にですね。

DJ YEW:色んな音源をディグっていく中で日本語ラップのインディー枠を取り扱うショップ WENOD を覗いていると、北関東スキルズ*13の中のユニット NO MAN`S LAND の作品をたまたま見掛けた。
当時、ファンキーグラマー系のラップのフロウがつまらないと思っていて、「どうして日本人は海外のラッパーみたいにラップができないんだろう」と考えていた。そんな状況で、ジャケットをみてかっこいいと思って購入した NO MAN`S LAND を聴いてみると、自分が理想としていた洋楽の符割りのラップをしていた。

「DUFF と華乱によるユニット NO MAN`S LAND」

「これだ……、ずるい!」と思って、ずっと悔しくて。同時に「できるんだ」と感動しちゃって。どこに住んでいるんだろうとか色々調べてみたら、どうやら北関東らしいぞと。

当時の北関東スキルズには DOTAMA*14 君もいたり、色んなラッパーがいるのもあり栃木までイベントを観に行くことを思い立った。その前から「超ファンです。ラップ最高です」みたいな mixi のコミュニティで交流自体はしていた。イベントに何度か通っていくうちに DJ をしてみなよって。そこはアンダーグラウンドヒップホップの現場だったから、ダブステップを掛けても許されるし REBEL FAMILIA、THINK TANK など自分が好きなアーティストの曲を本当に自分がしたいミックスで喜んでくれるお客さんもいた。全員が Shifty のクラブスタッフみたいな。

-肥えた人たちが多かったのですね。

DJ YEW:やっていくうちにビートも作ってみようという流れになり、そのビートを使って一曲演りましょうって。そういう流れで北関東スキルズに加入した。2011年のアルバムリリースまでは一緒にやっていた。

「Chaos Kitchen / KITAKANTO SKILLZ(DJ YEW 氏がビートを制作)」

その中で都内の MC とも色々と知り合っていく。キリコ*15さんや METEOR*16 さんなど一風変わった MC、Masaki On The Mic*17 さんもその頃に mixi 経由でメッセージが来たりして知り合った。
2011年にアルバムをリリースした際に Crew 内で揉めごとがあり脱退した。震災のあとの空気の時だった。

「KITAKANTO SKILLZ 『BUFFALO REPORT CODE:』」

-脱退されてからはどういうご活動をされていたのですか。

DJ YEW:色んな人が北関東スキルズ DJ YEW というのを何となく嗅ぎつけてくれて、その中で Lo-Vibes Recordings 主宰のビートメイカー KK*18 さんと知り合って、「中野 heavysick でのイベントに出ないか」という話が来た。そこもアンダーグラウンドの美学にこだわった DJ が集まっていた。ヒップホップに限らず、ダブステップもあったしブロークンビーツ、ハンドレッド BPM といって BPM 100 で重い曲をかける DJ もいた。「北関東スキルズでやっていた人がいるらしいぞ」と都内のアンダーグラウンドミュージックをしている人達にも自分を示すことができた。

しばらく heavysick で DJ をしていたり、新宿ドゥースラーにお呼ばれしたりしている。

僕ぐらいの年代で MSC や DJ BAKU さんの衝撃的なムーブメントがあったと同時に Dj KENTARO*19 さんや HIFANA*20 など色んな音楽の要素を組み合わせたアーティストが並行してでてきていた。

自分はヒップホップ一本だという人もいたけど、エレクトロニカ系の音、ドラムンベース、ポストロックなどヒップホップ以外の音を使ってプレイするのがイケている流れがあって、自分もそれが面白いなとなって。

「Dj KENTARO – Using Harvest Dance Skipless @ TAICOCLUB’10」

当時は秋葉原で働いていて色んなアニメ的なものを目にしていた。その中に同人音楽というジャンルがあるんですよ。

自分で作った音楽をインディーズで流通させる。コミックマーケット、M3*21 など売る場所が決まっていて、音楽即売会、同人音楽 CD を取り扱うオタクショップ、そういうのが実はカルチャーとして太い。オーバーグラウンドではないんだけれど、色んなジャンルがずらっと並行してならんでいる状態。

打ち込みもあれば演奏もあり、秋葉原で働いた帰りにそういうのをディグっていった。オタク的な音楽、アニメやゲームをモチーフにした音楽をチェックしていて、ボーカロイドもあったし、その中で少数ではあったんだけれど、自分たちがやっていたアンダーグラウンドの音楽の感触でアウトプットしている人がいた。

これ、かっこいいなとジャケ買いしたり MySpace で試聴したりしていました。それと並行してアニソンのクラブ MOGRA がオープンしたので、そこを観に行ったりしていました。同人音楽でアンダーグラウンドなことをしている人達が自分には衝撃で、同じアニメを観ているのになぜこんな暗い音が出てくるんだ(笑)。

「東京 同人類補完計画 武蔵野無双最高幹部会 第77次中間報告」

「Subroc Recordings – SUBHUMAN」

その中のひとりに 3×6 さんというハードドラムンベース、ダークステップをやっているプロデューサー・DJの方がいた。その人の音源が同人 CD の中に並んでいてこれはやばいと。
ダークステップはテンポ的にはドラムンベースなんだけど、ドラムの打ち込みがやりたい放題。あり得ないところでスネアがあったり、手数がめちゃくちゃに多い。ただ、ブレイクコアほどは無秩序ではなくて、ある程度の秩序がある中で、ヒップホップの人間が打てないところにスネアがあるような、グルーヴから気を逸らすとどこがビートだか一瞬でわからなくなる。それぐらい複雑。

「CURRENT VALUE | STVOL.TV x PRIVATE PERSONS — 8 YEARS」

その流れでヒップホップとダブステップとダークステップを並行してやっていく感じになった。ダークなドラムンベースでスクラッチをする人もあまりいなかったから、珍しかったのかハードドラムンベース系のイベントからも呼ばれるようになった。

色々な音楽が混ざったヒップホップのイベント、ハードなドラムンベースのイベントに出ている中で KK さんのイベント経由でハードな音楽も好きなポエトリー・アーティスト URAOCB*22 さんと知り合った。
ハードコアな DJ を集めたポエトリーのイベントをやろうということになり、そこからポエトリーの人たちからも興味を持ってもらえたのもある。

そのあとぐらいに Masaki on The Mic さんのイベントにも出るようになりましたね。マサキさんは変なものを求めるから適材適所の選曲(笑)。
そんな中で GOTH-TRAD さんのイベント、ダブステップの総本山 BACK TO CHILL にもラウンジのレギュラーとして出演して、セカンドフロア、メインフロアでもプレイしました。

そして、カセットテープ DJ が出てきて今に至る。

-カセットテープ DJ はどういう流れで始められたのですか?

DJ YEW:Masaki On The Mic さんのやっているイベントに大江戸テクニカ*23さんがいらっしゃって、「この人はカセットテープ DJ 装置を作っているんですよ」と紹介してくれた。色んなイベントに大江戸テクニカさんが遊びに来てくれていたけど、カセットテープ DJ の装置に最初は懐疑的でした。絶対難しいなって(笑)。

大江戸テクニカさんがある時、使ってみないかと貸し出してくれたんですけれど、難しいと思って2ヵ月ぐらい姿を見ないようにしていた(笑)。

ある日突然、部屋の片隅に置いていある機材に目がついた。できるかもとやってみたらできた。それで今に至る(笑)。

-今に至りがちですね(笑)。

DJ YEW:割と本当にすっとできちゃって。

-ずっとDJをやられていたのもあり、気をつけるポイントさえ把握すればできたんですかね。

DJ YEW:そうですね。応用が効いた。

-カセットテープDJの難しいポイントはどこなんですか。

DJ YEW:どこまで負荷をかけられるか。

-「負荷」といいますと。

DJ YEW:こうするとカセットはダメになるし、こうすると機材は止まるしみたいな。

-ハード的な意味合いですね。

DJ YEW:あとは音源のコンディションの保ち方。カセットの保管にも気を遣うようになったし、あとは買い方ですね。

-買い方。

DJ YEW:どこで買うと安いかとか(笑)。レコードの常識が通用しない。それが面白さでもありますね。

「カセットテープDJ装置の使い方 2022年~夏~」

「DJ YEW 氏と大江戸テクニカ氏(ASAGAYA CASSETTE TAPE DJ SUMMITにて)」


*1 TRF…1990年代に活躍した日本のダンス&ボーカルグループ。小室哲哉プロデュースのもと、ユーロビートやダンスミュージックを J-POP に取り入れた。
*2 GROOVE…DJ カルチャーやクラブミュージックを扱う音楽雑誌。DJ機材、レコード、ヒップホップやクラブシーンなどを紹介している。
*3 ファンキーグラマー…RHYMESTERのMummy-DとDJ JINらが関わった音楽制作チームおよび周辺のアーティスト群を指す呼称。日本のヒップホップシーンで、複数のラッパーやプロデューサーが交流する制作ネットワークを形成した。
*4 RHYMESTER…1989年結成の日本のヒップホップグループ。宇多丸、Mummy-D、DJ JINによる構成で、社会批評や日常を題材にしたリリックと高度なラップ技術で知られる。
*5 EAST END…1990年代に活動した日本のヒップホップグループ。GAKU-MC らが所属し、ラップを J-POP のメインストリームに広めた存在。YURIを迎えた「DA.YO.NE」が大ヒットした。
*6 DJちえみ…日本語のヒップホップやラップの楽曲のみを使用するスタイルで知られているDJ。
*7 DJ BAKU…東京を拠点に活動するDJ・トラックメイカー。ヒップホップを軸に、ブレイクビーツやエレクトロニックミュージックなどを融合した実験的なサウンドを展開している。
*8 REBEL FAMILIA…GOTH-TRAD と秋本“HEAVY”武士らによるユニット。ダブ、ブレイクビーツ、ハードコアなどを融合した重厚で攻撃的なサウンドが特徴。
*9 THINK TANK…東京のアンダーグラウンド・ヒップホップグループ。ダブやレゲエ、ブレイクビーツなどを取り込んだ独自のサウンドと、実験的な表現で知られる。
*10 MSC…漢 a.k.a. GAMI、TABOO1、PRIMAL、O2らによる日本のヒップホップグループ。新宿を拠点とするアンダーグラウンド・シーンから登場し社会や都市の現実を描いた。
*11 CISCO RECORDS…渋谷区宇田川町などに存在した輸入レコード店。渋谷区宇田川町にある坂道の通称「シスコ坂」の名前の由来。
*12 Hip Hop Hooray…アメリカのヒップホップグループ、Naughty by Natureが1993年に発表した楽曲。キャッチーなフックと高揚感のあるビートで知られる、90年代を代表するヒップホップ・アンセムのひとつ。
*13 北関東スキルズ(KITAKANTOSKILLZ)…北関東を拠点に活動したヒップホップクルー、圧倒的なオリジナリティを持つ北関東最狂集団。
*14 DOTAMA…栃木県出身のラッパー。論理的で言葉数の多いラップと、社会や日常を題材にした表現が特徴。MC バトルでも活躍し、2017年には ULTIMATE MC BATTLE で優勝した。
*15 キリコ…東京のアンダーグラウンド・ヒップホップシーンで活動するラッパー。独特の言語感覚や風刺的なリリック、既存のヒップホップ表現にとらわれない作風で知られる。
*16 METEOR…日本のラッパー。ユーモアやナンセンス、キャラクター性を生かしたラップを展開している。
*17 Masaki On The Mic…ライブはフリースタイルのみで構成されている埼玉県川口市を拠点とする異端のヒップホップ MC。
*18 KK…音楽レーベル「Lo-Vibes」を主宰する音楽家・ビートアーティスト。2007年にリリースしたサードアルバム『Light in a Fog』などで、Shing02、K-BOMB、環ROYら豪華な実力派 MC 陣をゲストに迎えている。
*19 Dj KENTARO…日本のターンテーブリスト・DJ。2002年の DMC World DJ Championships で日本人として初めて世界チャンピオンに輝いた。
*20 HIFANA…KEIZOmachine! と JUICY による日本のブレイクビーツ・ユニット。サンプラーやターンテーブル、パーカッションなどを駆使したライブパフォーマンスで知られる。
*21 M3…音系・メディアミックス同人即売会。音楽CDや自主制作音源、音楽関連作品などを頒布するイベント。インディーズや同人音楽の制作者とリスナーが直接交流する場。
*22 URAOCB…音楽にも造詣が深いポエトリーリーディングのアーティスト。90年代後半から2000年代にかけてはDJとして活動。
*23 大江戸テクニカ…都内で活動する DJ。自らでカセットテープ DJ 装置の制作者。


ShareButton:

返信する